「天才だね」は理科の先生が口癖にしていた言葉で、理科の授業中は、クラスの誰もが「天才」で、問題に正解しようが間違えようが、あるいは口ごもった時にだって「君は天才なんだから」とおだてられ、とにかく自分の考えかたを口にできれば、先生からは「君は天才だね」のお墨付をもらえるのが常だった。
(中略)
小学生の昔、日能研で理科を教えていたあの先生が配布していた「天才だね」という文言は、あれはネットなんてなかった昔の「いいね!」 だったのだろうと思う。
塾にはもちろん定期テストがあって、試験の順位は公開されて、「天才」の称号なんてただの挨拶みたいなものではあったのだけれど、試験勉強をする必要もなく、そもそも試験を待つまでもなく手に入る「天才」の称賛に、自分はずいぶん舞い上がり、そのうち本当に理科ばっかり得意な子供になった。
称賛の時定数について - レジデント初期研修用資料 (via kikuzu)
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音楽ファン必見!
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元記事:
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なんでも関東震災後、昭和初期からの計画で、100年経った今でも宙ぶらりんのまま残っているという。
その都市計画道路をどうするのか。今も地道にワークショップ等が続けられ、地元の合意形成に汗が流されている。
だが、その宙ぶらりんの都市計画道路のおかげで、建築規制がかかり、町並みが残されているという側面もあるようだ。とくに間間間のある初音の道は、ヒューマンスケールのままで残されている。だから計画を見直し、そのかわりヒューマンスケールを損なわないように建築のルールを導入したいと椎原さんは言っていた。
台東区は防災に熱心で、不燃化率の向上にも力を入れているそうで、丘の麓のほうでは密集事業も行われている。安全・防災のためには、決まっている都市計画道路を取りやめるという決断は難しいのだそうだが、近年は区主催の見直しワークショップも折々開催されている。今さら道路拡幅もないだろう。なんとか知恵を絞って、ヒューマンなスケールを壊さないようにしてもらいたい。
前田裕資(学芸出版社・編集者)
2011年4月25日
1509夜『ユーザーイリュージョン』トール・ノーレットランダーシュ|松岡正剛の千夜千冊
エルランゲン学派(フランク、レールら)が描いた、人間における情報の流れの概観。いわゆるオルガノグラム(組織図)。キュプフミュラーのグラフ同様、人間は意識が知覚する以上の情報を入出力していることが示されている。
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(建築家であれば、仮設住宅ではなく、長くつかってもらえる建物をつくりたいのでは?と質問されて)
なにが一生残るパーマネント(半永久的)なものなのか。なにが仮設かって考えてみると、例えば僕が神戸で95年に「紙の教会」をつくったんですね、紙で。
で、それはまあ3年くらい使えればいいということだったんですけれども、実際はみなさんがそれを愛して、ぜひとも使い続けたいということで10年使われたんです。
で、その時たまたま台湾で地震がありまして、台湾の方から「これを寄付してくれないか」というお話があったんで、それをまた解体して、台湾でまたボランディアの人が再建して、それいまパーマネントな状態で台湾に残っているんですね。
ところが例えばコンクリートで作っても地震で簡単に壊れますし、ディベロッパーが金儲けのためにつくった建築っていうのは、また違うディベロッパーが土地を買って建物を壊して、また違うものをつくる。
結局「仮設」なんです。
だから、なにが仮設でなにがパーマネントかっていうのは、その建築が愛されるかどうかで決まってくるんですね。
坂茂(建築家)
「カンブリア宮殿 世界が注目!紙の建築 2013年6月13放送」より
言うまでもない話だが、自分たちが「粋」である旨をアピールすることは、「野暮」な態度だ。
「粋」は、アピールしたり、推進したり、前面に押し出したりするものではない。
強いて言うなら、そこはかとなく「にじみ出る」ないしは、「醸し出される」ものだ。あるいは、本人が過ぎ去った後に、残り香としてかすかに漂う余韻のような要素だ。決して、記念コインに刻印して配布して良いものではない。
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であれば「です」は基本的に「だ」で言い換えられなければいけません。
でも「しつこくないだ」は変。
「この花はきれいです。」と「この花は美しいです。」、この2つの文は似ていますが、「きれいです」は正しいけど「美しいです」は変。
分かります?この感覚?
実は「美しいです」という表現は、英語の授業(テキスト)でも使われますし、現在では「慣用的に使っていい」とされています。
でも、文法的には正しくない。
「きれいだ」はいえても「美しいだ」はいえない。
理由は簡単です。
「きれい」は熟語で名詞「綺麗」です。
でも「美しい」は形容詞です。
ま、このレベルは「慣用的にオッケー」なんでぎりぎりセーフ。
でも「うつくしくないです」「おいしくないです」は変。
丁寧表現として「です」を使いたいわけなんですが、「ない」の丁寧な表現は「ありません」です。
「美しくありません」が正解。
あるいは「美しくございません」(ウ音便になりますので「美しゅうございません」ですかね?)
ま、話し言葉なんてものは、時代とともにどんどん変わっていくものなので、10年後には国語審議会なんかで「ないです」は慣用的にオッケーってお墨付きが与えられるかも知れません。
ここで言いたいのは、文法云々のレベルではなく、感覚として綺麗な日本語、分かりやすい日本語は「たしなみ」によってしか身につかないということです。
自分の書いた、話した言葉が、ちゃんと伝わるものになっているかは、文法的にチェックすることは「本人にはほぼ不可能」なのであって、「センス」にかかってきてしまうものだ、と。 『なぜ「おいしくないです」は日本語として不適切なのか?』 in 速読術2.0
2009-12-28 (via jun26, tiga) (via iiiroha) (via yshm) (via konishiroku) (via yuttaro) (via tra249) (via motomocomo) (via hdk) (via yaruo) (via quote-over100notes-jp) (via tatsukii) (via lovecake) (via pankai) (via shortcutss) (via xlheads) (via oharico) (via shinoddddd)
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生活保護利用者数(2010年)
ドイツ 793.5万人(人口8177万人)
イギリス 574.5万人(人口6200万人)
日本 199.9万人(人口1億2700万人)
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